7月に一人の小学校6年生の女の子と出会いました。
お母さまが「誰かと関わる時間を持ってほしい」と、カウンセリングを希望してくださったのがきっかけでした。
彼女は、小学2年生の頃から学校に行かなくなり、今は夕方に学習プリントを受け取りに学校に行く程度の日々を送っています。
このような状況だけを聞くと、多くの人は「不登校」と聞いて、暗い話や心配な状態を思い浮かべるかもしれません。
でも、実際に会った彼女は、そのイメージをあっさりと覆してくれるような、明るくて礼儀正しく、そしてとても魅力的な子でした。
何よりも驚かされたのは、自分のことを客観的に見て言葉にできる力です。
「私はこういうところがある」「これは好き」「これはちょっと苦手」
そんなふうに、自分自身を冷静に見つめ、丁寧に言葉で伝えてくれる姿に、私は深く感心しました。
決して学校という場を全否定しているわけではなく、「担任の先生やクラスという集団の中での過ごし方が、ちょっと自分には合わなかった」と、彼女は話してくれました。
友達もいて、日常の中での関わりやコミュニケーションもできる。
そして私との会話の中では、大人の問いかけにも戸惑うことなく、しっかりとした語彙力と表現力で自分の気持ちを伝えてくれました。
「この子は、ただ『学校』という枠組みの中では輝きづらかっただけなんだ」と、話しながら何度も感じました。
そしてもう一つ、私の心に強く残っているのが、彼女の「お母さんへの感謝」の言葉です。
「つらいとき、一番話を聞いてくれたのはお母さんだった」「たくさん話しかけてくれて、すごく嬉しかった。」
その言葉には、どんな苦しい時間も、一緒に乗り越えてきた親子の深い絆が感じられました。
子どもがこんなふうに素直に感謝を伝えられる家族の関わりが素晴らしいと、胸が熱くなりました。
彼女は、「中学には行かないつもり」と話していました。
でもその一方で、「行きたい高校があるから」と、自分で必要な学力や受験情報を調べていることも教えてくれました。
人との関わりを断っているわけでも、将来のことを何も考えていないわけでもありません。
むしろ、自分にとって「今、必要なもの」「これからの自分にとって大切な選択は何か」を、ちゃんと考えながら前に進んでいるのです。
学校に行くことだけが「前に進むこと」ではありません。
彼女のように、自分の足で、自分なりの道を見つけていこうとする姿こそ、本当の意味での「学び」や「成長」ではないかと思います。
これから先、もしかしたら「学校に行ってみようかな」と思う日が来るかもしれません。
逆に、「やっぱり行かない」という選択を貫くかもしれません。
どんな選択であっても、私はその子が自分の意思で決めた道を、心から応援したいと思います。
「不登校」という言葉の裏には、一人ひとり異なる背景や想い、そしてその子なりのペースがあります。
親だからこそ、我が子の将来を考え、心配になる気持ちも痛いほど分かりますが、
私たち大人ができることは、「学校に無理させてでも行くようにさせること」ではなく、彼女の母親のように「その子の今を丁寧に見つめ、理解し、支えること、そして善さを見つけて伸ばしていくこと」ではないでしょうか。
彼女の話を聞き、改めてその子が安心して自分を語れる場所。
何かを変えさせるためではなく、「今の自分をそのまま出せる場所」になることを、私は何よりも大切にしていきたいです。
これからも、たくさんの子どもたちと出会っていく中で、ひとりひとりの声に耳を傾け、心を寄せていきたいと思います。